茨城県出身。
20年程、IT業界で仕事をしていました。(オープン系、制御系)
私のようなタイプのPGがやる仕事は都会にしか無い為、ほとんどの期間を東京で仕事し、これじゃ新潟に居る意味が全く無い、でも新潟にはやりたい仕事が無い、東京にも戻りたくない。(元は東京に居ました)
いつもその辺りのジレンマがあり、どうにかしたいなぁと思い続けていました。
システム開発の仕事はいくらでもあり、技術者不足も手伝って、ほとんど寝る時間も取れず働いて働いて、へとへとのある時、プツンと切れて仕事を辞めて、何もやらずに呆けながら、燃え尽きてしまったこれからの人生を、どうしたらよいか、考えても答えは出ずに、お金も無くなりかけ、そんなタイミングで、義母が脳出血で倒れ、毎日1時間かけて病院に通い、一時的に重度の認知症のような状態になった時、何も出来ず何の知識も無い、どうしていいのかも分からず、何も言う事が出来ない、これでは戦えない。
入院費を払って最後のお金で、ホームヘルパー2級を取りに行き、短期で経験を積むために、介護職の中でも過酷と言われる老健を選んで就職しました。
実践あるのみ、実務3年で介護福祉士の受験資格も貰えます。
介護士になったら、少し時間に余裕が出来ました。(9時間で家に帰れる)
PG時代から、疲れ切ってる体を持たす為に、色んな施術を受けてきて、この世で一番、持続力のある施術探しの旅は続いていました。
そこで、残業の無い早番の日を狙い、足ツボと言われる施術の中で、最も効果のあった「足部反射区療法師」の資格を1年近くかけて取得。
全身施術では今のところ右に出るものが無い持続力、「全身ほぐし」の資格も取りたい、しかし、どうがんばっても働きながら取るには無理な資格。
過酷な老健で働きながら、休みの日は東京へ行って勉強、毎日の自己鍛錬をする時間は作れませんでした。
絶対に時間を作って取る!と思いながら、介護の現状を目の当たりにしながら、3年が過ぎ、受験資格を得た所で施設を後にしました。
ギリギリのお金で東京に通って資格を取り、介護福祉士も取り、また介護職に就こうか迷いながらも開業。
そして開業4年目には、やりたかった介護の仕事も始めました。
興味のある事、必要と思う事は何でもします。
よく変わり者と言われますので、友人は少ないですが、私の周りは、拘りを持った人ばかりです。
今は、時間があるが故に出来る事に感謝しながら、クロスステッチや薬用酒作り、その他、色々な物を作っては、自分の体で試して唸ってみたり、週に1日しか無い休日を、用足しで潰しまくって、結局、休めない、会社員の友達とは遊べなくなって、自営の辛さを味わいまくったり、なかなか楽しく過ごしています。
残りの人生は、ぼちぼち生きよう、ゆっくり山を下りていこうと思いながら、日々、お客様が来てくださる事に感謝、気持ちいい、楽になったと、また来て下さる事に感謝。お客様の来ない日は、介護に行って、刺繍して、月末に焦って、そんな暮らしも、なかなかいいんでないかい、と思っています。
興味のある方は、気軽に声をかけて下さい。